この本来の『神』を引き継いでいる言葉が『失神』でしょうね。意味は「信仰対象を見失う」ではなく、「意識が途切れる」ことですよね。
そして、これを言い換えると「”気”絶する」・「”気”を失う」になります。
つまり、物質としての”気”の科学的証明は困難ですが、概念としては『意識と身体を結ぶ接着剤』です。
・「気が緩む」
・「気が散る」
・「気が抜ける」
・「気を引き締める」
・「気をしっかり持つ」
・「気を遣う」
・「気が休まらない」
・「気疲れする」
等で使われる”気”という表現が、そういう意味ですね。
偽物(エセ気功師)ほど ”気”を神秘化して大袈裟なことを言いますが、私に言わせると
「”気”の操作は、普通の人が 日常的にしている行為 」
です。
”気”って身近な存在なんですね。
むしろ 身近すぎて意識する機会の無い方が多いのかもしれない。
整理すると、意識(神)と身体を結ぶのが”気”だからこそ、「”気”絶」して、「”気”を失う」と、結果として「失神(意識が途切れる)」が起こるわけです。
そして 「病は気から」と言う様に、”気”は 結び付けた心身に影響を与える存在です。
なので、「もう年だから」とか声に出して言わない方が良いですよ。自分で自己暗示を刷り込む行為ですから、本当に心も身体も重くなっちゃいます。
「老後の健康づくり」を考えるなら、「年寄りの冷や水」にならない程度に、楽しく前向きに趣味・生きがいを持って過ごすこと。
やっぱり、長寿会のサークル活動を活用しましょうという結論になっちゃいますね。
さて、この 「気のせい」即ち「”気”の力」を現代医学に当てはめると、『プラシーボ効果』に該当すると思います。
「プラシーボ」または「プラセボ」を和訳すると、「ニセぐすり」と書いて「偽薬(ぎやく)」になるんですが、堅苦しくて わかり難い・・・